1月、一人旅で伊賀上野を訪れました。
伊賀といえば忍者、です。
子どものころは藤子・F・不二雄さんの『忍者ハットリくん』、大人になってからは司馬遼太郎さんの歴史小説に親しんだ身としては、いつか行ってみたいと思っていました。
ちょうど京都に行く予定があったので、用事が終わったら一泊してみることにしました。
乗客が急に消えた?広がる妄想
夕方、用事を終えてJR京都駅から在来線に乗り出発。
平日だったので、途中まで帰宅する乗客でかなり混んでいました。
ところが、駅名は忘れましたが、ある駅からごっそり人が降りていきました。
気が付けば、同じ車両には自分以外に一人か二人。
がらーんとした空間。
急に心細くなります。
窓の外はもう真っ暗で、街灯すらまばらです。
都市部から離れればよくある風景なのですが、そこは一人旅という非日常。
「もしかして、忍者の里の領域に入ってしまった?」と妄想が膨らみます。
忍者の”案内”に思わず笑いが
そわそわしたまま、乗換駅のJR柘植駅に着きました。
そこで見かけて、思わず笑ってしまったのがこの写真。
さすが忍者の里!
日中、忍者ファンの観光客でにぎわっているのがうかがえます。
伊賀鉄道に乗車
JR柘植駅から伊賀上野駅へ、さらにそこから伊賀鉄道に乗り換えました。
木目調の車内が印象的です。
またもや、自分が乗った車両にはだれもいませんでした。
気が付くと、外は雨。
伊賀忍者に思いをはせる
闇夜を走るローカル電車の中で、ふと以前に読んだ司馬さんの短編忍者小説のことが頭に浮かびました。
今でこそ、忍者は大人気のヒーロー物コンテンツです。
でも、そんな華やかなイメージとは裏腹に、実際の忍者の一生はとてつもなく過酷だったようです。
司馬さんの小説では、「下忍」と呼ばれる階級の低い伊賀忍者の悲哀がえがかれていました。
戦国時代、彼らは諸国の武将の求めに応じて伊賀盆地から派遣されました。
伊賀忍者は戦国大名らに雇われはしても主従の関係は結ばないそうです。
彼らの拠点は、雇われた武将らではなく、あくまで伊賀。
その伊賀を取り仕切っていたのが、「上忍」と呼ばれる地侍です。
そして
用がおわれば下忍たちは伊賀に戻って来、老い朽ちれば、上忍の屋敷で飼い殺しのまま死を迎える
司馬遼太郎『戦国の忍び 司馬遼太郎・傑作短編選』PHP文芸文庫 2007年
と司馬さんは綴っています。
現代風に言えば、下忍が「下請けフリーランス」、彼らを派遣する上忍は「下請けエージェント」、戦国大名は「クライアント」でしょうか。
なんだか、身につまされます…
でも、乱世の苛烈な生き様を、現代風に置き換えてはあまりに軽すぎる気がしました。
私が読んだ小説の忍者たちは、決してヒーロー的ではありませんでした。
むしろ、その逆。
ずるさ、いやらしさ、したたかさが強く印象に残っています。
それでも、そんな忍者の不可思議さ、数奇であろう人生が気になっていました。
それが今回の伊賀の旅につながったのだと思います。
伊賀忍者のおもてなし?
伊賀鉄道に揺られ、5分ほどで上野市駅に着きました。
予約していたホテルを目指し、人もまばらな夜道を急ぎます。
1月の冷たい風がダウンコートを突き抜け伝わってきました。
風雨にさらされながら、徒歩5分ほどでホテルに到着。
チェックイン後、ほっとして部屋に入ると、枕元にこんな心遣いが。
「さすが忍者の里!」と、また口元が緩んでしまいました。