大雲院-織田信忠を弔う京都の寺

旅行

かなり前になってしまいましたが、武田の松姫について書きました。

そして昨年初冬、松姫の許嫁だった織田信忠の菩提を弔うお寺を訪れる機会がありました。

京都・東山の大雲院です。

通常は非公開ですが、たまたま「秋の特別公開」中に通りかかりました。

今回はこのお寺についてです。

龍池山 大雲院

大徳寺、建勲神社など、京都だけでも織田信長の史跡はいろいろあります。

けれど、嫡男・信忠が関わる所は大雲院以外、京都にはほとんどないように思います。

大雲院は信忠の法名「大雲院殿三品羽林仙巌大居士」にちなんでいます。

1587年、正親町天皇の勅命により御池御所に創建されました。

御池御所とは、現在の烏丸御池にあたり、本能寺の変で信忠が亡くなった場所です。

その後、秀吉により寺町四条に移転、さらに現在の東山に移されたそうです。

現在地はもともと旧財閥の大倉喜八郎の別荘地でした。

大倉は京都の金閣寺、銀閣寺に並ぶ銅閣寺を、という思いがあったそうです。

境内へ

以前から東山を訪れると、大雲院の門前を通ることはよくありました。

祇園閣がとても特徴的で、「ねねの道」を散策していると必ず目に入ります。

今回、拝観は初めてでした。

16世紀創建の歴史ある寺ですが、本堂は1973年に再建されコンクリート造りです。

そのため新しいお寺なのだと思っていました。

特別公開中、南門に受付があり、そこから入りました。

通常は閉じられている門です。

この門は大雲院の山門で、1973年の寺院移設に伴い、現在地に移設されたそうです。

初冬でしたが、境内にはまだ鮮やかな紅葉がみられました。

少し歩いて、まず目に入ったのは安土桃山時代の鐘楼です。

中には、室町時代の梵鐘がありました。

その後、本堂へと進みました。

大雲院の本尊は阿弥陀如来坐像です。

私が訪れた際には、ボランティアガイドの方が本堂内の説明をされていました。

本尊の内部にはさらに別の阿弥陀如来像が収められているそうです。

それは室町から桃山時代にかけての作であると後で知りました。

「もっとじっくり観ておけばよかった」と後悔しています。

パンフレットによれば、同じ敷地内に書院と呼ばれる建物があります。

旧大倉家京都別邸「真葛荘」というそうです。

いろいろ気をとられて、そちらも見ることができませんでした。

祇園閣に上る

大雲院のもう一つの特徴は、祇園閣です。

この建物は、元財閥の大倉喜八郎が祇園祭りの山矛を模して昭和三年に創建しました。

前述の真葛荘とともに伊東忠太の設計だそうです。

東山を散策していると、その特徴的な建築がよく見えます。

特別公開でその中に入ることができて運が良かったです。

中の階段は、中国・敦煌の壁画の模写があり、それだけでも見応えがあります。

オリエンタルな雰囲気です。

祇園閣は3階建てですが、階段はそれほど急ではありません。

一番上からは京都の東山一帯が一望できます。

訪れたのは初冬の京都。

冷たい風が吹き付け、とても寒かったですが、素晴らしい眺めです。

東山の風景を独り占めしている気分になれます。

祇園閣を下り、境内の奥に行きました。

そこは墓地となっており、織田信長・信忠親子の碑もあります。

「墓所」とありましたが、本能寺の変で二人の遺体は見つかっていません。

二人を弔う「碑」ということなのでしょう。

さらには、”天下の大泥棒”と名高い石川五右衛門の墓所も同じ場所にあります。

なぜ五右衛門のお墓が同じ敷地にあるのでしょう?

調べてみる必要がありそうです。

信忠と「本能寺の変」

1582年、本能寺の変で織田信忠は亡くなります。

当時、信忠は京都の妙覚寺に滞在していました。

しかし、父・信長がすでに亡くなったことを知ると、自害してしまいます。

ただ、その前に二条御所にいた誠仁親王を脱出させたと言われています。

信忠の律儀な性格がうかがえるような話です。

信忠に関する書籍には『織田信忠-天下人の嫡男』(中公新書)という本があります。

生い立ちから本能寺の変で命を落とす経緯まで、研究者の目で詳述されています。

著者の和田裕弘さんは「信忠が本能寺の変に巻き込まれていなければ、豊臣秀吉の時代は到来しなかっただろうし、徳川家康が歴史に占める位置づけも変わっていただろう」とする一方「どれほどの力量を備えていたかは未知数としかいえない」と評されています。

また、あとがきでは「信忠に関する逸話が極端に少ない」と振り返っておられます。

信長の嫡男であるはずなのに、関連する資料がほとんど残っていないのはなぜなのでしょう。

不自然な気がします。

亡くなってから何者かに意図的に消し去られたとか?

実はこの歴史ミステリーの鍵を握るのはもしかしたら信忠なのではないか…?

素人の憶測にすぎませんが、またも歴史の妄想の芽が顔を出しました。

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